近況の一端。
1月9日、『SAPIO』編集部と打ち合わせ。同誌2月22日発売号の企画について。同号では、他にもう1本別の原稿も書く。その後、BS11に移動して「報道ライブ インサイドOUT」に出演。昨年の天皇誕生日に際しての天皇陛下の記者会見でのご様子を中心に。一緒に出演した毎日新聞編集委員兼論説委員の伊藤智永氏の「尊皇家」ぶりがやや意外。11日、BS‐TBSのプロデューサーから連絡。前日の「報道1930」で私のコメントを急に使わくなった事への謝罪。番組内容が変更になった為で、他意はなく、今後スタッフで共有し教訓にする、と。誠実な対応。『週刊新潮』から取材を受ける。雅子妃殿下について。一部に根強くある妃殿下への誤解を解く為、根拠を示して少し懇切に説明。しかし翌週、送られて来た同誌記事を見ると、小室圭さんへの悪口ばかり。残念。14日、東京新聞「代替わり考」7回に私のコメントが掲載された。これで7回のシリーズのうち、3回分に私のコメントが載った事になる。17日、私が監修した『歴代天皇事典』(PHP文庫)増刷の知らせ。これで丁度20刷に。19日、TBSの番組用にVTR収録。私がたった一言喋るだけ。放送では僅か数秒位しか使わないはずの映像。その為に、わざわざ外部のスタジオを借り、スタッフを張り付け、1時間余り時間をかけて撮影する。良い番組を作る為に驚くべき熱心さ。でも、それに付き合わされるこっちは、些(いささ)か迷惑。その為にスーツを着こんでスタジオまで出かけなければならない。最初、私の書斎での撮影を申し込まれた。勿論、その方が私は楽だ。けれど、とても公開できる状態ではないし、その気もないので断った。だから自業自得と言えばその通り。撮影が終わって高森稽古照今塾へ。その後の、参加者数名限定(美人歓迎)の懇親会が、かなり充実したものになった。20日、ミス日本コンテストのファイナリスト激励会へ。ファイナリストだけでなく、ロングドレスの美女たちが会場に溢れんばかり。しかし、次の用があったので、後ろ髪を引かれる思いで、途中で会場を後にした。22日、作家の泉美木蘭さんとネット動画「徒然草気まま読み」を収録。更に、ジャーナリストの笹幸恵さんも一緒に、2月ゴー宣道場の「呼び込み」動画も。今年最初の道場は、これまでの立憲的改憲シリーズの新展開であり、新たな戦いの序章にもなるだろう。締め切りは1月30日。奮ってご応募を!24日、TBSでバラエティー番組「この差って何ですか?」の収録。午前のリハーサルと午後の本番の間に、たまたまこのタイミングで日本に帰っている長女と昼食。番組の司会は加藤浩次さんと川田裕美さん。他の出演者で芸能音痴の私が名前を知っていたのは、俳優の陣内孝則さんとVTR出演の歌手で俳優の武田鉄也さんくらい。私は「建国記念の日」を巡るコーナーに出た。陣内さんとは少しやり取りした。2月5日に放送予定とか。果たしてどのように編集されるか。収録終了後、神社本庁へ。政教関係を正す会の研究会。研究発表は以下の通り。國學院大學教授、岡田荘司氏「大嘗祭について」、同大學准教授、藤本頼生氏「『即位の礼・大嘗祭』斎行差し止め請求訴訟について―平成時の即位礼・大嘗祭訴訟との比較を通じて」。両氏共に私の業績を過大に評価して下さり、恐縮至極。岡田氏は、このところ「大嘗祭は“稲の祭り”であるだけでなく、“粟(あわ)の祭り”でもある」と強調されている。確かに、後鳥羽上皇が記された順徳天皇の大嘗祭の記録(『大嘗会供神膳秘説』)などを見ると、粟が神事に供えられた事実を窺わせる。又、古代の毎年の新嘗祭や神今食(じんこんじき)では間違いなく粟も供えられていた(延喜宮内省式・同大炊寮式)。しかし大嘗祭については、貞観(じょうがん)の『儀式』や『延喜式』の段階では、粟は一切出て来ない。むしろ、粟は供えられ“なかった”と判断する他ないような史料状況がある。だから、大嘗祭に粟が供えられるのは、時代的にどこまで遡るとお考えなのか、質問させて戴いた。会場には、靖国神社の坂権宮司(ごんぐうじ)や山口県の金長神社庁長が来ておられたので、ご挨拶申し上げる。帰宅して鏡を見ると、TBSでメイクさんが私の髪を(わざとらしく)
ふんわり盛り上げてくれたままだった。